人生がつまらないのは、面白さに気づいてないだけ

右脳で感じたことを左脳で吐き出すためのブログ。

大事さ

「これ大事ですよー」

日々、生きていれば何度も出くわすこんなありふれた言葉。

 

これすごいいい言葉だと思うんですよね。他人を洗脳し、その人から考える力を奪うための言葉として。

 

だって、学校の先生からこの言葉が出てきたらみんな一気に授業に食いつき始めるじゃないですか。
「ここテストに出ますよー」とニアリーイコールです。

 

人に優しくするのって大事。

廊下は走らないのが大事。

周りの人とは仲良くするのが大事。

授業中は静かにするのが大事。

テストでいい点を取るのが大事。

真面目に仕事するのが大事。

 

考えてみると、世の中には大なり小なりいろんな「大事」が蔓延しています。

大事だからみんなそれに即して行動するのが「大事」。

はい、右向け右国民のいっちょあがり。

 

誰かが大事だと言っている。

だから自分もそれに反するとなんだか気まずい。

これが僕たちの得意な「空気を読む」という行為。

 

これ、、、、、

なんだかとても不幸せだなって僕は思うのです。

 

「大事」って誰にとって大事なことなんでしょう?

 

僕はこれを「大事さの押し売り」と名付けています。

 

例えばですけど、自分の嫌いなものを

「これ美味しいから食べてみてよー」

って言われたらなんかいらっときません?(極端すぎる気もするけど)

 

「おめーの好きを押し付けんな」って思いません?

僕はすげえ思います。

 

「大事なこと」も同じだと思うんですよね。

「おめーの大事を押し付けんな」って思いません?

僕はすげえ思います。

 

中には確かに自分にとっても大事なこともあります。

でもこれこそが一番大事だと思うんです。

「自分にとって大事」

それがひいては意義深さを生む出発点になると思うのです。

人間は意義深さを感じているときこそ喜びに満ち満ちた生を享受することができるというのは僕の持論ですが、平たく言えば

「え、なんでこんなことしなくちゃいけないの?」ってことより

「いま自分ものすごい意味のあることをしている」と感じているときのほうが幸せじゃないですか?ってことです。

 

なんだかいまの時代って(たぶん昔もある程度そうだったと思うけど)「大事」という概念があたかも「みんなの共有物」みたいになってる気がするのです。それがぼくはとても嘆かわしい。

大事かどうかは各個人が自分自身で考えるべきこと。

そして、各個人も自分にとっての大事に対して責任を持つこと。

そんなことがいまの日本全体で大事だと思うのです(←あれっ、、完全なるブーメラン)